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安里屋ユンタで考える

2年ぶりのブログ再開です。

(4月10日 琉球音楽論第1回)
 有名な「民謡」は、伝承していた土地の範囲を超えて、広く(全国的に)知られるようになった歌であり、昔ながらの民謡は、特定の土地で、生活の文脈のなかで、土地の人々が自ら歌い、伝承してきた歌です。
 有名な「新民謡・安里屋ユンタ」では、歌詞は共通語(歌謡のことば)で歌われ、都々逸(どどいつ)という当時の日本で流行っていた世俗的な形式だったので、意味が一般に理解でき、親しまれました。
 一方、「地元版・安里屋ユンタ」では、歌詞は八重山の方言で歌われ、生活の文脈で意味を持つので、地元の人(その時代の人)にしか解りません。一般の人々には解説が必要となります。
 音楽面から見ると、「新民謡」では三線の伴奏や種々の洋楽器による伴奏があり、色彩豊かで味わいに富みます。ソロ歌手によって歌われ、舞台の上でお客さんに向かって(またはメディアを通して)表現するものです。
 「地元版」では伴奏がなく、声だけで演奏します。形式的には対等な交互唱で歌われ、誰が主人公でもなく、いかにも共同体みんなで作る歌と言えるでしょう。人々に聴かせるための歌と、歌って楽しむための歌の違いがあると思います。
 ここで皆さんに考えていただきたいことは、①昔ながらの民謡とは何か、②民謡が有名になるとはどういうことか、です。「有名になる」と、意味がわかりやすくなり、音楽的に洗練され、聴いて楽しめ、味わえる歌になりますが、同時に、生活上の意味が薄れ、忘れ去られ、変わってしまいます。そのことが、地元の文化、地域の個性をも忘れ去られていくことにつながることもあります。有名になるのがよいか、ならないほうがよいか、考えてみましょう。「有名な民謡」となることはすばらしい点もありますが、代償もあります。「マイナス」を小さくする方法はあると思いますか。
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芸能の記録映像 2つの方向

7月1日
フィールドワークゼミでは、かつて埼玉県戸田市が制作した獅子舞の記録ビデオを見ました(私も監修に参加しました)。

民俗芸能の記録の作り方には、2つの方向があるべきです。芸能がどのような地域社会の文脈を背景として、人々によってどのように演じられているかを描き出す方法と、どのような旋律やリズムに導かれ、どのような奏法で演奏し、どのような動作・所作をするのかを詳細に描く方法です。

前者は、芸能の行われる行事をありのままに観察する手法ですが、祭の本番だけでなく、準備や練習の過程をも観察の対象に含みます。また、演じている人々だけでなく、見物している人々にも目を向ける必要があります。ドキュメンタリー映画のような感じですね。

後者は、芸そのものの「保存」のために不可欠の資料です。採譜に役立つように、歌の旋律や歌詞、笛や太鼓の細かい奏法まで、正確に記録する必要があります。行事の現場ではそのような録音や映像は不可能ですから、別途依頼してスタジオなどで採録することになります。究極的なお稽古ビデオのような感じでしょうか。

前者は、業者委託でやる場合に、けっこうよくあるタイプですが、後者は研究者が個人的に撮ることが多く、本格的に作ることは珍しいと思います。戸田市の企画では、両方を実現することができました。

テーマ : 三線
ジャンル : 音楽

八木節様式のリズム

6月30日
わらべ歌や民謡を題材に、歌詞のまとまりの字数ごとに、その句がどのようなリズムで配分されるか、を観察していくと、幾つかのパターンがありますが、それらは3つの機能をもっていることがわかります。開始、継続、終止、つまりフレーズの「始まる感じ」と「続く感じ」と「終わる感じ」です。

始めに間があると「始まる感じ」があり、最後に間があると「段落感、終止感」があり、音符が連なっていると「続く感じ」がある。このことから、両端に間を置くことによって、フレーズのまとまりが作られることがわかります。

その理想的な形が、七五調であり、小歌形式、すなわち「3+4、4+3、3+4、4+1」という歌詞の配分です。
これをそのまま1音符ずつ当てはめたのが「八木節」です。ちなみに「ソーラン節」も同様です。「ニシン・来たかと/カモメに・問えば/わたしゃ・たつとり/なみにき・け」

そこで、こういう言葉と音楽のリズムが密接に結びついたタイプのリズムを八木節様式と呼んでいます。

日本語の韻文のリズムも、音楽のリズムと一体になって形成されてきたと考えるべきでしょう。

テーマ : 作曲
ジャンル : 音楽

エイサーのアイデンティティ

6月29日
エイサーは「変化」がキーワードです。昔は念仏口説を歌うことが主で、併せて幾つかのはやり歌も連ねて、手踊りを楽しんだと思われます。手踊り中心のエイサーは名護以北にたくさん分布しています。いずれも太鼓は2、3個程度です。そもそも、王府時代には太鼓は高価な輸入品ですから、農村にいくつもあるわけはありませんよね。

敗戦のために米軍に村を追い出されて収容所生活を送り、ようやく解放されたら留守中に集落はつぶされ、飛行場になっていた‥‥‥というケースの多かった中部では、ふるさとを失った人々の心の糧は芸能でした。

みんなを元気づけようと始まったエイサー大会は大好評を博し、広い場所で演ずるエイサー、すなわち大きな音、派手な衣装、大げさな身振りで遠く離れた観客にもアピールするエイサーが大いに発展しました。
 太鼓を数多く使い、新たに大太鼓も導入して、現在よく知られるエイサースタイルが広がりました。エイサーの変化は、沖縄社会の歴史の反映そのものですね。

でも、純粋に見せるためだけのエイサーグループと、地域の伝統を背負う青年会のエイサーの違いは、念仏口説を最初に歌うか否かです。地域のエイサーは、念仏を簡略化、短縮して、1節しか歌わなかったりしますが、決してゼロにはしません。やはり、念仏がエイサーのアイデンティティなんですね。

テーマ : 三線
ジャンル : 音楽

間の脱落は日本人のリズム感

6月24日
リズムの2回目に、いろんな字数の配分パターンを観察しましたが、そのなかでとくに問題としたのは、拍の脱落という現象です。

日本民謡をフツウに2拍子で採譜していくと、途中で前拍と後拍が逆になって、あれっと思うことがよくあります。これは、どこかの小節が奇数拍子になっているために起きることですが、これは本来あるべき休符が脱落するために起きます。

日本人のリズム感覚では、一般に「間」は数えません。フレーズが途切れると、「間」を待ちきれなくて、すぐ次のフレーズに入ってしまいます。よく知られた「あんたがたどこさ」がその例です。二拍子で始まるのですが、途中で「くまもとさ」で前拍・後拍がひっっくり返ります。次の「くまもとどこさ」でまたひっくり返って戻ります。

洋楽のソルフェージュ教育は、西洋人のリズム感を獲得させる教育なので、こういう日本人の特性に注意が必要だと思います。

テーマ : 作曲
ジャンル : 音楽

プロフィール

Author:ウムイ
沖縄音楽研究の世界へようこそ!
沖縄の島々の歌や、三線の歌を「学問として」研究するって、どんなことをやっているかご存じでしょうか?

沖縄県立芸術大学で、沖縄音楽の理論や歴史を教えています。
正確に言うと、民族音楽学者です。いろんな方々に、研究や授業への興味をもっていただければ嬉しいです。

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